- 仕事でのミス
- 抜け漏れ
- 忘れ物
- 報告の遅れ
何度も注意されて、自分なりに気をつけているつもりなのに、
気づけば同じことを繰り返してしまう。
そのたびに、まるで自分の存在そのものが否定されたような気持ちになりました。
ADHDという診断を受けてから、なぜ自分がそうなってしまうのか理解はできるようになったけれど、
周りからの評価は変わるわけではありません。
「またミス?」
「さっきも言ったやん」
そんな言葉に、心が少しずつすり減っていくのを感じました。
それでも私は、あきらめることができませんでした。
なぜなら、「ダメな自分」で終わらせたくなかったからです。
私は私なりに、工夫を重ねることにしました。
メモを大きく書く。付箋を貼る。リマインダーを3重に設定する。
それでもミスがゼロになることはありませんが、
「以前より減ったね」と言われることが、少しずつ増えてきたんです。
完璧にはなれないかもしれない。
でも、昨日の自分より少しだけ前に進むことはできる。
そう思えるようになってから、「またか」という言葉にも少しだけ強くなれた気がします。
大切なのは、自分を責め続けることではなく、自分と根気よく付き合うこと。
私はそうやって、少しずつ前に進んでいるように思います。
今日はこうしたことについて書いてみたいと思います。
ミスの連続でも自分を変えたかった|失敗の中に小さな工夫を重ねることが重要な理由
同じミスを繰り返しては落ち込み、
「またか」と言われるたびに、
自分なんて社会に向いていないんじゃないかと思っていました。
ADHDと診断されたことで、「ああ、だから私は人と同じようにできなかったのか」と少し納得はできました。
しかしそれで急に現実が楽になるわけではありませんでした。
周囲の期待に応えられず、自分にイライラし、
できない自分を何度も責めました。
でも、それでもどこかで「変わりたい」という気持ちだけは消えませんでした。
このままで終わりたくない。ほんの少しでも前に進みたい。
そう思ったとき、私は大きな変化を求めるのではなく、小さな「工夫」を積み重ねることから始めました。
例えば、
- タスクを1ページにまとめること。
- ToDoリストは3項目だけに絞ること。
- 通知の音を変えて、忘れにくくする。
自分の特性を受け入れたうえで、「じゃあ、どうしたらできるようになるか」を考えるようになったんです。
効果はすぐには出ませんでした。
それでも、「前よりマシになった」「今日はこれができた」と思える瞬間が、少しずつ増えていきました。
人より遅くてもいい。できない日があってもいい。
そうやって自分を許しながら、小さな成功を積み重ねていくうちに、「私にもできることがある」と思えるようになったのです。
他人と比べると、どうしても見劣りしてしまうかもしれません。
でも、昨日の自分と比べて進んでいれば、それは確かな「成長」です。
失敗の中にあるヒントを見つけ、小さな工夫を加えてみる。
それだけで、人生は少しずつでも変えていけると私は信じています。
「変わりたい」と願う気持ちがある限り、私たちは何度でもやり直せる。
そう思えるようになった今、私は少しだけ前向きに生きられるようになりました。
諦めない生き方には【完璧じゃなくていい】と許すことが重要
- 忘れ物はしない
- 時間は守る
- 人に迷惑をかけない
こうした理想を求めてきました。
でもADHDの私は、気を抜けば何かを忘れ、
タスクの優先順位を見失い、気づけば同じミスを繰り返してしまう。
それなのに、どこかで「ちゃんとやらなきゃ」「できないと恥ずかしい」と思い続け、
自分を苦しめていました。
ちゃんとできない自分を許せなかった。
その積み重ねは、自己否定となって私の自信をどんどん奪っていきました。
でもある時、ふと気づいたことがあるんです。
完璧を目指すからこそ、できなかったときに自分を責めてしまう。
そもそも、完璧なんてどこにもないのに、なぜそんなゴールを目指していたんだろうって。
そこから私は、「昨日より少しマシな自分」を目指すようにしてみました。
- 昨日より5分早く起きられた。
- 先延ばしせず、タスクに少しだけ手をつけられた。
- 言われる前にメモを見返して、ミスを一つ減らせた。
これも一つの成長なのです。
そんな小さな「できた」を積み重ねていくことで、
自分を少しずつ認められるようになりました。
「これくらいでいいの?」と最初は不安もありました。
でも、自分を追い詰めていた頃より、はるかに楽に前へ進めることに気づいたんです。
昨日よりマシな私を意識するようになってから、
失敗しても必要以上に落ち込まなくなりました。
むしろ、「次はこうしよう」と前を向けるようになりました。
それは決して諦めではなく、続けるための方法でした。
完璧を手放すことが、私にとってのあきらめないということだったのです。
今の私は、以前のように理想の自分を追い詰めることはしません。
少しずつ、確実に進んでいける生き方を選びました。
そして今日も、「昨日より少しマシな私」を目指して生きていければいいかなと思えるようになり
少しは以前より心が軽いような気がしています。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。