私は社会人になって20代後半でADHDと診断を受けました。
これまで特に大きな困難もなく生活してきた自分にとって、ADHDと診断されたことは大きな驚きであり、正直なところ戸惑いを隠せませんでした。
日常生活もそれなりにこなせていたし、少ないながらも気の合う友人もいて、人間関係で大きく悩んだこともありません。
もちろん、自分にはどこか人と違う感覚があるとは感じていましたが、それが異常だとは思っていませんでした。
むしろ、自分なりの個性だと受け止めており、「自分は普通の範囲にいる」と信じて疑っていなかったのです。
だからこそ、発達障害という言葉を自分に当てはめられることに、心がついていかないのかもしれません。
診断という現実と、自分のこれまでの感覚との間にギャップがあり、それを受け入れるにはまだ時間が必要だと感じています。
しかし社会人になって、仕事を進めていく中で、
- 忘れ物が多かったり
- 嘘をついていたり
- 精神的に追い込まれたときに言葉に詰まったり
- 一つの仕事が集中してできなかったり
- 考えが多方面に飛んでいたり
と様々な問題を抱えていることを自覚するようになりました。
そんな時に友人の一言で精神科を受診して
今まで自分が普通だと思っていたことが、一つの発達障害だと診断されたとき
自分は一つの障害を抱えていたのかと驚きを隠せなかったのを覚えています。
その後の自分について、今日は振り返ってみたいと思います。
ADHDと診断されたとき自分はどのように思ったのか?
ADHDと診断されたことで、今まで自分は普通だと思っていたのに
一つの発達障害であることを自覚させられました。
しかし普通に生活できている事実に、それを受け入れることはなかなか難しく
「いや、そうはいっても普通に生活できてるしな」
という思いが少なからずありました。
しかし、そこは自分も気になるところであり、徐々にではありますがADHDの特徴を調べていく中で
その症状が自分自身の行動に当てはまることを知っていくと、
「あれ?もしかして自分はADHDなのかもしれない」
と感じるようになってきたのです。
- 一つの作業に集中して取り組むことができず、作業中も別のことを考えてしまいその作業に集中するのにまた時間がかかってしまうこと
- 忘れ物が多く、タスク管理や持参物を忘れてしまうなどのミスが多いこと
- 突発的に発言していまい、なかなか自分の考えをまとめることができないこと
- 人と良好な関係をなかなかうまく築けないこと
このような発見を通して、「自分は本当にADHDかもしれない」と思うようになりました。
診断を受けた直後は半信半疑でしたが、自分の行動や思考のクセを改めて見つめ直すことで、少しずつ診断を受け入れ始めています。
そして今では、ただのレッテルとしてではなく、自分自身をより深く理解するためのひとつの手がかりとして、この診断と向き合おうとしてはいます。
とはいえ、ADHDと診断されたことを頭では理解していても、どこかでその事実を素直に受け入れられない自分がいます。
確かに、日常生活はそれなりにこなせているし、社会にも普通に適応できているという自負もあります。
そのため、「自分は本当に発達障害なのだろうか」という疑問がいつも心の奥に常に残っているのです。
診断結果に納得しきれないのは、それが自分のアイデンティティを揺るがすように感じてしまうからかもしれません。
「普通」だと思っていたこれまでの自分を否定されるような気がして、戸惑いと抵抗が入り混じった複雑な感情に襲われるのです。
理解と受容の間には、思った以上に高い壁があると痛感しています。
ADHDと診断されてからの自分の変化について
今まで何不自由なく生活していたと思っていた自分が、ADHDと診断されたことで変わったこととは何か?
それを考えたときに、自分の特性をまず理解しようと、ADHDについて調べることから始めました。
確かにADHDは発達障害の一つとして知られており、特にSNS上では悲観的な発言などがとても多発しており
自分も障害を抱える人間の一つだと自覚させられました。
こうした情報を調べれば調べるほど、どんどん普通とは違う自分に嫌気がして
物事に対してもう嫌だなぁと思うことも少なくありませんでした。
しかし私は家族もおり、自分の仕事も持っているため、そうはいっても守るものが多数存在しているため
悲観的な考えを持ってる暇はありませんでした。
- どうすれば生きていけるか?
- どうすれば社会人としてやっていけるのか
- どうすれば稼げるのか?
- どうすれば少しでも自分の特性を活かせるのか?
こうしたことを考えていくことが重要だと考えるようになりました。
なぜなら自分は生きていかなければいけないし、誰かが自分を養ってくれるわけでもありません。
そうはいっても何とか今まで仕事もやってくることもできましたから、
それをいかに効率よく仕事をする方法ができるのかというポジティブな考えに帰ることができました。
ADHDは確かに不注意で落ち着きがなく、衝動的に行動してしまうという特性があり人とは違う状態を抱えています。
しかしながら、それが優位に働く場面もあるということを知るだけでも、自分自身の心が軽くなるということが分かったのです。
確かにADHDは発達障害の一つかもしれない。
それは裏を返せば、別のパラメーターが飛び出ているからこそ、ほかのパラメーターの伸び率が小さくなっているのではないでしょうか?
人とは違う自分の特性をフルに生かすことができれば、ほかの部分が劣っていても、それを補って余りある武器を手に入れることができるかもしれない。
こうした特性を知らなければ、苦手な部分をずっと伸ばそうとしてしまって、最後は自分が壊れてしまう可能性もあるのです。
これからの時代において求められるのは協調性ではなく、飛び出た才能をいかに活かして生きていくかということです。
そのあなたの才能を見つけ、活かしていくための考え方や心の持ち方を、本ブログでは皆様に伝えていければと感じています。
もしあなたが同じような境遇であるのであれば、少しでも参考になれると嬉しいです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。