今まで自分は何不自由なく生活できてきていたと自分で思い込んでいました。
しかし社会に出ると様々な問題を引き起こしてしまい
自分でもなぜそうしたことをしているのかがわからないという経験をすることが多々ありました。
- 仕事上でのミスを連発している
- 誤字脱字が多い
- 仕事のタスクを忘れることが多い
- 問い詰められると焦って言葉に詰まる
- 衝動的な発言をして周りを不快にさせる
これを読んでくださっている方はこうしたことで叱責されたという経験を持つ方もおられるのではないでしょうか?
しかし、社会人になって数年経てば、こうした問題は比較的解消されやすいはずですが、
私自身はなかなか改善されることもなく、今でもこうしたことで怒られることは少なくありません。
すると徐々にこう考えるようになるのです。
「自分は普通じゃないのかもしれない」
これが自分がADHDかもしれないと考えたきっかけでした。
ADHDかもしれないと思っても今でも認めたくない自分がいる
ADHDは近年注目されている発達障害であり、年々増加傾向にあるというデータが出ています。
それは昔からこうした人が大勢いたけれど、最近の研究結果で多いと言われ始めたと言った方が正しいかもしれません。
現にADHDを持つ有名人としてトーマスエジソンやレオナルドダヴィンチもそうであったかもしれないと言われているのですから。
しかしながら自分自身がADHDかもしれないと思っていても、どうしてもそれを認めたくない自分がいました。
なぜなら自分が「発達障害」だと認めたくないからです。
こうした書いている今でも、自分が発達障害だと認めたくない自分がいます。
自分自身が障害を抱えているかもしれないということを認めることは、結構な苦悩を伴います。
だからこそ通院することにかなりの時間を要しました。
同じように悩んでおられるかたも少なくないはずです。
でも実際のところ通院して自分の特色に気づくことができたのは大きな成果でした。
第三者に自分の欠点や、その対処法を教えてもらうということはとても重要なことです。
なぜなら自分の取扱説明書を作れたような気がしているからです。
ADHDであると自分を認めてあげるところが第一歩
自分はADHDであるという事実を認めることは、簡単なことではありません。
なぜなら、そこには「自分は人と違う」「できないことがある」という現実と向き合う痛みや、社会的な偏見への恐れが伴うからです。
しかし、そうした事実を受け入れ、自分自身を理解しようとするプロセスのことを「障害受容」と呼びます。
障害受容とは、単に障害があることを認めるという表面的な意味ではありません。
それは、「できない自分」「うまくいかない自分」も含めて、自分自身を否定せずに受け止め、人生の一部として捉え直す深い心理的過程です。
この過程には、怒りや悲しみ、拒否感、自己否定などの感情がつきまといます。
私自身も第三者にADHDかもしれないから受診を勧められたときに、
自分自身が障害を抱えているとは思いたくない自分がいました。
今まで何不自由なく生きてきて、問題もなかったと思っていたからです。
ですが仕事のミスや対人関係など様々な問題を抱えるうえで、こうした問題を抱えているかもしれないという課題に直面したときに
ADHDを調べれば調べるほど自分の特徴に当てはまっていたりしたのです。
そうなると、「ADHDかもしれない」という思いは拭い去ることはできませんでした。
だからこそ、ADHDかもしれないという感情について、少しずつ調べるようになってきたのです。
ですが、それを経て初めて「では、どう生きていこうか」「どんな工夫をすればうまくいくだろうか」と前向きな方向に目を向けることができるようになります。
ADHDの特性は、確かに生きづらさを伴うことがあります。
しかし同時に、創造力、柔軟な発想、エネルギッシュな行動力といった強みも併せ持っています。
障害受容とは、そうした自分の弱さと強さの両方を知り、「これが自分の個性である」と認めていくことでもあります。
受容は一朝一夕でできるものではありません。時間がかかってもよいのです。
私自身もADHDであると認めるまでにかなりの時間を要しました。
少しずつ、自分を責めることなく、自分と向き合っていく。
その積み重ねが、より生きやすい人生につながっていくのです。
ADHDだと自分を責めず認めるところから始めよう
自分がADHDであることを認めたくないという気持ちは、ごく自然な反応です。
社会的な偏見や、自分の弱さに直面することへの恐れ、そして「努力でなんとかなるはずだ」という思いがあるからこそ、なかなか受け入れられないのです。
しかし社会人としてこれからの生活を考えるうえで、自分の特性を正しく理解し、向き合っていくことはとても大切です。
障害受容とは、自分にできないことを諦めることではなく、自分の特性を客観的に捉えて、それに合った環境や方法を選び取っていく力でもあります。
ADHDを受け入れるというのは、自分を制限することではなく、自分がうまく機能できるための工夫を始めることだと考えてください。
たとえば、注意の持続が難しいなら、作業を細かく区切ったり、締切を段階的に設定してもらうことで成果を出せるかもしれません。
忘れ物が多いなら、メモやリマインダーの仕組みを強化すればいいのです。
このように「自分に合ったやり方」を選ぶことが、社会人として継続的に働く力につながります。
また、ADHDには困りごとばかりでなく、創造性や直感力、情熱的な集中力など、強みも確かに存在します。
自分の得意なことに目を向け、それを活かす働き方を探していく姿勢もまた、障害受容の一部です。
認めることに抵抗があるときは、「今はまだその準備ができていないだけ」と考えるのでも構いません。
受容には時間がかかりますし、一度受け入れたと思ってもまた揺れ動くこともあります。
それでも少しずつ、自分の特性を知り、自分のためにどう工夫していけば良いかを考えていくことが、あなたのこれからの社会人生活を支える力になります。
努力が報われないつらさや、生きづらさを感じたときこそ、
特性を無視せずに受け止めることで、解決への一歩が見えてくるはずです。
自分を責めずに、自分に合った歩み方を大切にしてください。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。